清水義次 講演 現代の家守たれ! | Peatix tag:peatix.com,2011:1 2021-11-17T15:14:31+09:00 Peatix リノベリング 清水義次 講演 現代の家守たれ! tag:peatix.com,2015:event-80671 2015-04-13T20:00:00JST 2015-04-13T20:00:00JST 江戸時代の町役人、家守の職能を現代のまちづくりに活かす「現代版家守事業」の提唱者であり、リノベーションスクールの発明者、スクールマスターの清水義次によるライブ。江戸時代後期、江戸の町人人口は約60万人ほどであったと言われています。当時の行政機能である南町奉行所・北町奉行所には、武士・与力・同心あわせても300人程度しかいなかったと言いますから、町人人口約2000人に1人程度の公務員しかいなかったことになります。今よりも行政機能やサービスがシンプルだったとはいえ、どのようにして人口60万人もの巨大な都市をこのような少ない役人の数で維持管理していたのかという疑問が、当然ながら出てきます。実は、それを担っていたのが「家守」と呼ばれる人達でした。江戸時代、家守と呼ばれる民間人がまちに20,117人いたという天保年間の記録があります。江戸には人口30人に一人の割合で家守がいて、まちの維持管理をしていたのです。町人は自分たちのまちをつくり、守るために、幕府からお金をもらわずに、独自にこのような仕組みをつくっていました。民間人ながら番所に詰め、公用・町用を勤めたまちの差配人。彼らこそ、江戸のまちの家守でした。家守は不在地主・家主になり代わり、土地家屋の管理から長屋の住人である店子(たなこ)の世話、地代・店賃(たなちん)の取り立てを行っていました。さらには新しく奉行所が出した御触れの案内、就職、冠婚葬祭など、町人の日常生活から町に関することまで、あらゆることの面倒を見ていました。店子から「大家 おおや」と呼ばれていたのは地主・家主ではなく、差配人(町役人)である家守でした。落語に出てくる「大家と言えば親も同然、店子と言えば子も同然」という言葉は、江戸時代の家守と店子の関係のことを言っているのです。優秀な家守の元には良い店子が沢山あつまり、まちはにぎやかに栄えていたといいます。空き家、空き店舗、空きオフィスなど、、まちなかでは遊休化した不動産が目立っています。不動産オーナーが建物の使い方を少し変えて、江戸時代の家守のように所有する不動産をうまく使いながらまちに開くとまちが賑わいを生み、まちの価値が少しずつ上がります。そうすることで所有する不動産の価値も上がり、安定的な不動産経営が可能になります。そのような現代の家守のお話をします。第1部 現代の家守たれ! 清水義次(リノベリング)による30分の講演第2部 これからのまちづくりに必要な家守の職能不動産経営のプロフェッショナル、不動産再生の専門家、まちづくりの専門家への質問タイムとディスカッション 50分程度清水義次 (リノベリング/アフタヌーンソサエティ)馬場正尊 (リノベリング/オープンエー)大島芳彦 (リノベリング/ブルースタジオ)西村浩  (リノベリング/ワークヴィジョンズ)青木純  (リノベリング/メゾン青樹)嶋田洋平 (リノベリング/らいおん建築事務所)