「40代リストラから禅に助けられ復活」~リストラされたどん底から復活し、起業したストーリー~(限定8名) | Peatix tag:peatix.com,2011:1 2019-11-01T08:39:48+09:00 Peatix zenschool 「40代リストラから禅に助けられ復活」~リストラされたどん底から復活し、起業したストーリー~(限定8名) tag:peatix.com,2018:event-423562 2018-10-01T15:15:00JST 2018-10-01T15:15:00JST 人生100年時代といわれている昨今、既存のビジネスモデルやスキルの陳腐化が叫ばれる中、個人のキャリアの考え方も見直しが迫られており、特に、ミドル・シニアのキャリア戦略の再考・再設計が求められているのではないでしょうか。本イベントでは、まさにミドル・シニアである三木が、40代のときにベンチャー企業役員をリストラをされて、どん底まで落ち込んだ際、禅と出会い少しずつ復活する中で、新たな事業(zenschool)を着想して起業し、約10年経った現在に至るまでに起きたことをお話させていただきます。具体的に、どん底だった状態からの復活の仕方や、新規事業の起こし方、そして事業継続の方法などについて対話できればと考えております。・こんな方におすすめです:-社員の人材開発・セカンドキャリア開発に興味のある経営者・人事のご担当の方-今後のキャリアや生き方について考えたい個人の方日時:2018年10月1日(月) 15:15-17:45(開場15:00)会場:BasisPoint新橋店 貸会議室 Room.B会費:3,000円三木に起こったストーリー(著書「トゥルー・イノベーション」より抜粋)1.リストラ……「お金」の恐怖に支配された私 大学の修士課程を終えて、博士課程に残り研究を続けていた私は、とあるベンチャー企業からの参画のオファーをもらった。中小製造業を支援する会社だった。 修士・博士で行っていた研究は、具体的には大企業と中小企業のオンラインマッチングについてと、その経営戦略についてだった。研究内容にはその会社の事業とシナジーがあった。私がウェブに公開していた論文を読んだ、その企業の経営陣がオファーしてくれたのである。そのベンチャーの戦略を一緒に考えるというオファーだった。 当時の私は経営系の研究者として、他の博士課程の学生たちがラクラクと学会に論文をだしていく姿を横目にしながら、自分の論文の投稿は遅々として進んでいない状況だった。必死で仕上げてようやく論文を投稿したら、ダメ出しを喰らいまくる。博士課程へ進学したものの、限界を感じはじめていた。そこで、多少の迷いはあったが誘いを受けたベンチャーでの日々を選ぶことにした。 それから9年。仕事は面白く、朝から晩までワクワクして働いて、私はそのベンチャーの役員となった。しかし、風向きが変わる。役員就任直後の2008年、リーマンショックが起きたのだ。上場をめざしていたそのベンチャーは、リーマンショックのあおりで業績が急落。そのせいで、上場を達成するためには2年連続で売上を数十パーセントの勢いで伸ばさなければならないという無茶な事態に直面することになった。 私個人のモチベーションはまだ高かった。しかし、リーマンショックの影響は大きく、会社が手掛けていたその他の事業もうまくいかなくなった。業績の停滞とともに、上場に急ストップがかかった。それからの紆余曲折についてはここで詳しくは触れない。しかし、IT専任役員だった私は、これまで携わってきたウェブサイトの設計・開発の部門から外されることとなった。そして、まったくの門外漢ともいえる部門の担当取締役となった。会社は役員を解任し、給与の高い者から順に大幅な給与カットを行っていった。そして私も会社に残るかどうかは自分で判断して欲しいと宣告をされることになる。 ちょうど役員就任のころに結婚し 、自宅を新築をした私にとって、これまでの水準の収入が得られないという金銭的な不安は、予測しがたいものだった。会社に残るかどうかの判断は最終的に自分に委ねられたものの、この処遇は事実上のリストラだった。気持ちが沈みこみ、以降、会社に出社する気力が続かず、自宅に引きこもることが多くなっていった。 そんな状態ではあったが、創業当初からの社員ということで、会社側には十分にケアをしてもらった。退職までには半年間の猶予をもらったし、そのうえで、退職後も、さまざまなケアまでしてもらい、非常に手厚くしてもらった。本当に頭の下がる思いだった。 私は経営学の研究者の道をあきらめて、ベンチャー企業で早朝から夜遅くまで働いてきた。一時はそれなりの業績もあげてきたつもりだった。だから、正直いえばかなりショックだった。プライドが傷ついた。そしてそれに加えて、最初に自分の心を襲ったのは、「お金」に対する巨大な恐怖心だった。役員だったので、それなりの給与をもらっていたわけだが、そうすると今後は自宅のローンをどう返していくのか? これまでの生命保険は払えるのか? そもそも、家族になんと説明すればよいのだろう? とめどなく心の中を覆う巨大な恐怖心。不安がうずまき、ぐるぐると解決の糸口が見えない思考がめぐるばかりで、何も手につかない。自宅には、妻の趣味でたくさんの観葉植物があった。表面上は平静を装いながらも、実際には精神的なダメージがかなり大きかったのだろう。植物は私の心がわかるかのように、私がちゃんと水をやってもみるみる元気を失い、最終的には、すべて枯れてしまった。2.坐禅と出会い、問いを立てはじめた キリキリと胃をしめつけられるような感覚を味わう日々が続いた。平衡感覚が麻痺して、朝ベッドから立ち上がることができない日もあった。私は自宅でただ一人、うつうつとしていた。そしてやがて、その恐怖心からどうにか逃れる手立てを探し求めた。 とめどもない恐怖心から抜け出すにはどうすればいいのか? 藁にもすがる思いだった。YouTubeの検索に「こころの落ち着く方法」「瞑想」などのキーワードを入力する。こういうときは瞑想がいいとは何となく知っていたからだ。そんななかで、アメリカ人がちょっとおかしな日本語で坐禅のやりかたを教えている動画に行き着く。 YouTubeにはもちろん日本人の僧侶が指導している動画もある。後で知ったことだが禅宗には「不立文字(ふりゅうもんじ)」という、禅の行為自体を言語であえて語らないという伝統がある。そんなこともあって、僧侶の動画では坐禅の作法など細かい所がほとんど語られないので、それよりはその若い在日アメリカ人の動画を参考にしてみることにした。見よう見まねで、初めての坐禅をやってみる。 実際に坐禅をはじめてみると、最初は想像以上に大変だった。私は体が固かったし、とても足が痛かった。それでも次第に慣れてきて、最初は10分からスタートしたが、次第に坐ることができる時間が長くなった。15分、20分、30分、最終的には1時間坐ることができるようになってきた。 坐禅は、不思議な体験だった。坐りはじめた頃は、「お金」の恐怖から湧き出る不安や心配で頭がいっぱいになっていた。しかし坐禅を続けるうちに、次第にそれらの心配事や不安を感じなくなっていく。自分の吐く息と同時に、不安まで一緒に頭から排出されていくような感覚。うっすらと不安感がなくなるような感覚があった。私は少しでも、不安から逃れるために、無我夢中で坐禅に打ち込みはじめた。 坐禅の足のしびれに慣れて慣れてくると、さまざまな「恐怖」が心の中に出てくるようになる。坐禅は雑念を消すことを目的に行うと思われているが、実際には雑念を消すことなど、とうていできない。雑念は次から次へと湧いてくる。湧き出てくる雑念ひとつひとつをいちいち気にとめず、流してしまう訓練をすることにした。 イメージはこんな感じだ。自分の目の前に川が流れている。その川上から雑念が次々と流れてくる。私の場合、目の前を上流から下流に大量に流れる土砂のようにお金に対する「恐れ」がどんぶらこっこと流れててきた。山のような恐怖を目の前を流れていくままにやり過ごす。恐怖、次の恐怖、そして次の恐怖……。目の前を流れる恐怖をひたすら味わっていくとうちに、恐怖に対して自分自身をどんどん鈍感にしていくような感覚を経験した。自分自身との徹底した対話は、クリティカル・シンキング そのように恐怖をやり過ごしていると、「雑念」が立ち上がってきても、それを極めて客観的に見つめることができるようになる。そのうちに、立ち現れてくる雑念とは、実は自分自身との絶え間ない「対話」であるということに気がついた。 この対話は貴重だ。例えば、日常で人は覚醒しているときに、一つのことに深く集中して何分間考え続けられるだろうか。絶えず人との関わり、周囲の状況は目まぐるしい。ひっきりなしにバイブレーションでSNSが通知をよこし、それらを経由してさまざまな情報のシャワーを浴びせられ続けているような私たちである。 私たちはいろいろなことをじっくり考えているようでいて、スマートフォンなどの情報機器につながっている現代社会で、一つの事に〝本当に集中〟して、〝本当にじっと考える〟のは、長くてもせいぜい5分くらいが限界なのではないだろうか。実は細切れている集中力では、〝真の意味での〟物事の本質(物事の本質と言いながら、本当に本質をとらえるほど核心に迫っていないことはよくある)はなかなか見えてこない。 その点、坐禅は完全に自分の中で閉じた世界だ。30分から1時間、完全に閉じた世界、「自分」と「自分」との対話の世界にいるわけである。その間には、自分との対話を通じて嫌というほど、一つの事について考えさせられる。閉じた世界では徹底的に一つの事に集中し、考えを深められるのだ。 徹底的に一つの事に関して考える習慣は「クリティカル・シンキング」と言い換えることができる。クリティカル・シンキングは構造化された思考技術の一つだが、坐禅をしている間に、あらゆる可能性で熟考を重ねて結果を導き出すという行為は、自然と構造化された思考と似たパターンになる。ある事がら(テーマ、悩み)についての解決策が「もうコレしかない」と自動的に導かれるまで考え抜く。そうすれば、あとは実行するだけしか選択肢はない。結果として不安は解消されるのだ。 坐禅に慣れるにつれて、坐禅中に頭に浮かぶことがさまざまな新しい事業アイディアにつながるように思えてきた。そこで傍らにノートを置いて、アイディアをメモすることにした。1週間も経つと、びっしりと事業アイディアが書き込まれたノートができあがっていた。その一つに、「自社製品開発を行うスクールを開講する」というに関するビジネスプランもあった。 事業アイディアが出てくるようになると、気持ちが前向きになり、不安もどんどん薄らいでいくようになった。やがて立ち直った私は、ベンチャーで同僚だった宇都宮茂【うつのみやしげる】氏とともに、自社製品開発支援などを行う株式会社enmono(エンモノ)を2009年に設立する。それ以来、自社製品やサービスの開発支援、つまりイノベーションの創出を手伝う仕事をしている。製品でもサービスでも、何か新たなビジネスを生み出すには、さまざまな資源やアイディアを結合させて新たな価値を創造するという、本来の意味でのイノベーションが不可欠だ。 そして、どん底の時期の坐禅ノートに書き込まれていた「自社製品開発を行うスクールを開講する」というあのビジネスプランは、数年後に「zenschool(ゼン・スクール)」として結実し、いまの私たちのメインのビジネスに成長している。 あれ以来、毎朝1時間の坐禅はわたしのかけがいのない、自分との「対話」の時間となった。「禅的」対話で社員の意識を変えた トゥルー・イノベーション:三木 康司  (著)https://www.amazon.co.jp/dp/448418222X