【シリーズ|原生自然と人】能登半島の隆起した海をカヤックで漕ぐ〜語り手は森本崇資(キャンプディレクター)、ホストは宮台真司・阪田晃一 | Peatix tag:peatix.com,2011:1 2024-07-02T20:29:03+09:00 Peatix 阪田晃一 Koichi Sakata 【シリーズ|原生自然と人】能登半島の隆起した海をカヤックで漕ぐ〜語り手は森本崇資(キャンプディレクター)、ホストは宮台真司・阪田晃一 tag:peatix.com,2024:event-4036841 2024-07-18T19:00:00JST 2024-07-18T19:00:00JST 体験デザイン研究所 イベント第一弾!※トークイベントです。【シリーズ・原生自然と人】原生自然から人が間接化されてしまった現代において、実存にその繋がりを保ち続けている人をゲストに迎える「原生自然と人」。ぜひ会場にお越しください。オンライン視聴参加もお待ちしております。第1回テーマ「能登半島の隆起した海をカヤックで漕ぐ」語り手 森本崇資(キャンプディレクター)聞き手 宮台真司(社会学者/映画批評家)、阪田晃一(キャンプディレクター)“2024年6月シーカヤックで能登半島外浦を漕ぐ森本崇資、宮台真司、阪田晃一” 口上1「恐いけど恐くない」 by阪田晃一参考楽曲 石野真子「狼なんか怖くない」1978年(阿久悠作詞・吉田拓郎作曲) 今回は、復興支援ではなく、「原生自然と人」がテーマです。「原生自然」をとりあえず「手付かずの自然」とします。そんな場所を旅することを「遠征」と呼びます。今回のゲストの森本さんはいま仲間とカヤックで「手付かずの自然」を目撃できる知床の遠征に出掛けています。というと、皆さんは「手付かずの自然」を消費対象として捉えて、消費はいいけど自然破壊しないで…という文脈に回収しがち。「原生自然」という場合、「万物の源である法外な贈与&剥奪」ならびに「我々が部分に過ぎないがゆえに規定できない全体」という意味を帯びます。宮台さんに倣い、市場&行政を「システム世界」と呼び、人間関係の凸と凹の噛み合いである「生活世界」と区別すると、僕らは今殆どの便益をシステム世界から得ます(汎システム化)。そこでは「手付かずの自然」は、システムが敢えて手を付けない「不作為」の産物に過ぎません。だから「手付かずの自然」は、「システム世界」で疲れた人々の「週末のサウナ」として比較的安全・便利・快適に消費されます。しかし僕らがそこに身体を以て全面的に関わる時、僕らが知らない「未規定な全体」に身を委ねている感覚が湧き、必然的に言葉数が少なくなります。海に出たら思ったより(予期)海が荒れている(予期外)とする。学問的には言語的予測符号化の外の訪れ。言語的な予測符号で構築された「システム世界」では、未規定なものを言葉を並べて規定します。でも森本さんは「うむ」と呟くだけ。「うむ」のシニフィエは未規定です。能登の子らに「原生自然」とのシンクロ体験を贈与するプロジェクトの下見で初めてカヤックを漕ぐ宮台さんが「波が…」と言うと、森本さんは「こんなもんや」と答えますが、上陸後「けっこうな波やった」と言い、怪訝顔の宮台さんに「言うただけでビビるやん」と答えます。「俺は前と比べただけ。宮台さんは体験したままでええ」。森本さんは宮台さんのトークを何回か聴いていますが、「学問分からんけど、宮台さんはオモロイから」と。野生のエルクを手元に寄せて撫で、原住民を驚かせた森本さんは、宮台さんを動物として眺めます。「言葉はどうとでもなる」と言う森本さん。奇しくも宮台さんが繰り返す呟きと同じです。シュタイナーいわく「こうした身体性」は幼少期にのみ豊かに培われ、そうした者同士は出会えば分かります。宮台さんは「森本さんが一緒だと、恐いけど恐くないんだ」と言いました。直後に宮台さんは、荒野塾の歌謡曲論で石野真子「狼なんか恐くない」を阿久悠の本質を示すとして紹介。あなたも狼に変わるのですか、でもあなたが狼なら恐くない、という歌詞を、「恐いけど恐くない」(熱が出ちゃうけど)という「昭和の構え」を示すものだと言いました。いわく、その構えこそ言外に開かれた「昭和の微熱」の正体。「恐いからしない」「恐くないからする」という「令和の構え」は、言葉に閉ざされた「令和の冷え」を示す。「恐いけど恐くない」はナンセンスな散文言語だけど詩的言語として刺さります。身体・感情能力のなせる技です。3年弱のコロナ禍を経て、当初は対面を渇望する若者が多数派だったのにリモートを要求する若者が多数派になりました。「恐いけど恐くない」から「恐いからしない」へのシフトの昂進。ならば、ソバにいるだけで「恐いけど恐くなくなる」森本さんを対面で感じてほしい!!リモートより対面が安いなのはなぜ? と訊かれます。森本さんを感じてほしいからです。森本さんのお話の後は宮台さんが学問的な視座でパラフレーズします。もちろん僕も話します。様々な道具も持っていきます。「原生自然と人」は僕たちにとって特別なイベントです。あっと驚く体験をどうぞ!できれば現場で。皆さんのご参加をお待ちしております。 口上2「遠くは近くにある」 by阪田晃一参考映画 イントゥ・ザ・ワイルド Into The Wild(2009)ショーン・ペン監督作品 幼ないころ、森を歩いていると、この森はいったどこまで続いているんだろう、それはもはや永遠のように感じられ、ワクワクと畏れが混在し、なにか深淵を見たような、不思議な感覚に襲われたことを覚えています。遠くに仲間の声が聞こえて、森に飲み込まれずに戻ることができました。草木の香りや、太陽の輝き、風の音や月明かりの夜の音。父や母、兄弟がそこにいて、同じ世界を体験している。近所の子どもと一緒になって遊んだ記憶。おもしろいおじさんがいたり、やけに色っぽい女の人がいたり。そんな記憶が身体にも空間にも刻まれている。その喜びそのものに浸っている。こうした幼ないころの記憶は、それがいいものであればあるほど、大人になったら邪魔をするので、心の奥底に押し込められています。僕たちの良い記憶の多くは「原生自然と人」が強く結びついたものです。だからこそ原生自然から間接化され、<システム社会>に張り付けられた僕たちには、思い出しづらい記憶なのです。ネイティブ・アメリカンやアマゾン先住民など、数々の人類学者が報告するように、今この時も、強烈な身体性を保持したまま生きている人々がいます。彼らは言葉に縛られず、時に酩酊し、夢を見ます。言葉の選択肢の中から人生を選ぶのではなく、夢に現れたビジョンの通りに生きていこうとします。僕らの仲間のひとり、森本さんもそんな感じの人です。ネイティブ・アメリカンの部族名を冠したCamp Tawingoで2年間ディレクターをしておられました。カヌー、カヤック、スキーも達人。でもご本人は「ちょっと趣味で、、、」という程度。そんなおもしろい人です。もしかすると「私には遠い世界の話だ」と感じるかもしれません。言葉の生き物である私たちには、強固な「自意識の檻」が立ちはだかるからです。人は傷つくのが嫌だから、現在の自己を保とうと一生懸命努力します。真面目であればあるほど「自己の恒常性維持機能」が働きます。もし「このイベントは行きにくいな」と思ったのであれば、ぜひ参加してイベントの時間を一緒に過ごしてほしいと思います。そう感じることは珍しくないからです。でもそれは「遠い話にきこえるだけ」。僕はこのイベントを通して、ゲストが見た景色を、その実存を通して皆さんにも体験してほしいと願っています。稀有な身体性を有した人々との出会いは、皆さんの身体に眠っている喜びの記憶に直接アクセスし、きっと何かを呼び覚ますからです。僕も森本さんも共通することがあります。それは「ソロキャンプが嫌い」。あんなものは楽しくもなんともないからです。旅はどこに行くかではなく「誰と行くか」。一人で原生自然を旅すること。それ自体の意義はもちろんあります。でもそれは一体なんのためなのでしょうか。隆起した岩の間をカヤックで通り抜けた時、真っ白な岩が海に浮かんで見える。その景色を感じたときに強烈に思うのです。「この景色を誰かに見せてあげたい」。だから8月に能登半島の子どもたちをカヤックに乗せて、海から自分たちの島を見てもらえるように企画を準備中です。もちろん宮台さんのトークも存分に展開されます。なんとなくでも「毎日つまらないな」と感じている皆さん、一緒に楽しい時間を過ごしましょう! 口上3「共同身体性がないと、仲間も恋人も家族もできない」 by宮台真司 93年に東京都立大学に着任した途端に或る体育会系サークルの部長が研究室を訪れた。インターハイを目指した合宿が成り立たなくなった。協働的・共同的な達成を目標に出来なくなった。強化合宿に誘っても「フィットネスのために入ったので」などと断られるのだと。このモードは今も変わらない。その20年前。73年に僕は麻布中学の空手部に居た。夏休みには志賀高原で合宿。冬休みと春休みは校内合宿した。雪降る中で砂場に水を張り、腰まで使って組手した。夜中にこむら返りする者も出たが、合宿終りには共同的達成に咽んだ。山科盆地に居た小5の頃。「あの山を越えたら琵琶湖ちゃう?」と3人で山に入った。登山道がある訳じゃなく途中で迷った。僕の水筒のキャップに1㎝のコンパスが付いていて助かった。昼過ぎに出たのに石山寺の境内に出たのが日没後。疲れ果ててヒッチハイクで戻った。近所の森でレイテ戦帰りの老人が居て私塾を営んでいた。京大の先生だったが勉強は半分で残りは遠征。山に入ってスズメバチの巣を燻してゲットした。瀬戸内海の無人島に漁船で渡った(「伏せろ、巡視艇だ!」)。野良犬から生まれた6匹の子犬を担当を決めて育てた。川で泳ぐのも、小川の笹舟を追いかけるのも、ブロック塀の上をどこまで歩けるか試すのも共同的体験だった。夜祭りで見あげたら源氏蛍が乱舞していて仰天したのも、屋台で買喰いしてた仲間との共同的体験だった。「だから」仲間の家で夕食を食べて寝泊まり出来た。25年前から映画批評で「共同身体性」と呼んだ。物や体のダイナミズムに共通にコールされて中動的にレスポンスする営み。仲間が一緒だと「恐くても恐くない」「悪くても悪くない」「信じられなくても信じられる」。ところが、80年代以降の小学生からそれが奪われた。僕は昨日みたく思い出せる。80年代後半に郊外や地方都市から「恐くても恐くない」という微熱が「新住民化」で失われた。だから週末に中高生が東京のストリートにやってきた。住民はいないから「アジール=法外」。郊外や地方都市が冷えてもそこには「微熱」があった。昼までに高速バスで来て、援交で稼ぎ、夜はクラブでオールする子らを取材し続けた。クラブ番組も作った。でも96年秋に終り、「KYを恐れてキャラを演じる」営みが蔓延。要は「過剰を恐れて平均を演じる」営みだ。オタクがコミュニカティブになり、性的退却が進んだ。〜〜僕は過記憶。過程を細かく記憶するから観察眼がある。最近は身体性を主題にすると若い人の参加ハードルが上がってトークイベントに集まらない。性愛関連のトークイベントでも生じるが、性交を切り離してコミュニケーション能力に話を振れば、やっと若い人が集まる。10年前まで性交体験のつまらなさを語る女子が大勢いた。今は女子の間でその話題は御法度。キモい・ヤリマンだ・性愛中毒だとディスられる。つまらなさに悩む女子は今も居て、実際各種統計を突き合わせると「歳の差○○」が拡がっている。でも女子は話題にできない。80年代後半の新住民化期に小学生だった男子が成人する90年代後半から、男子の意識が共同的達成ではなく、個人的達成=フェチ的達成に向かうようになった。AVの悪影響とは言えない。「女優の物語からフェチ的おかずへの頽落」自体、受け手男子の劣化によるものだ。男子の劣化を5年遅れで女子が追う。「願望して期待する」→「願望しても期待しない」→「そもそも願望しない」という展開。その生態学的な前提・被前提関係を遡ると「共同身体性の享楽」から見放された「育ちの悪さ」が浮上する。それを放置して実りある性愛はあり得ない。再び現状分析。身体能力関連のイベントのハードルが上がる理由。ある精神科医と話し込み、「自分の身体能力への自信のなさ」もあろうが、運動部合宿の如き「身体能力関連の集団行動自体のハードルの高さ」もあろうと結論を得た。そこで宮台は2通りの仮説を立てた。①偉そうな口を叩く自分の身体能力の低さが仲間に露呈して「使えないヤツだ」とバレるのはイヤ。②運動部合宿に限らないが、「共通目標に向けた集団行動」で「使えないヤツだ」とバレるのがイヤ。その精神科医も、阪田氏周辺も、「たぶん間違いないな」と同意してくれた。93年の『サブカルチャー神話解体』の鍵概念は「自己selfの恒常性維持」という自我egoの機制。①も②も自我の自己防衛機制。仲間や恋人や家族を得るには機制を克服して「自己はどうあれ相手を幸せにしたい」と思えなければならない。どこから。まずは共同身体性から。最後に朗報。リマインディング・セッションを施せば、殆どの「青年」にはまだ「共同の身体的達成」つまり「共同身体性」の記憶が、折り畳まれていても在る。特に激しい武術やスポーツの経験があれば間違いなく在る。男女共これを「思い出し」、諦めの外に出ようではないか!![コンパスがキャップについた水筒]https://is.gd/tH1ncy[見て置いてほしいコンテンツ]長久 誠監督_そうして私たちはプールに金魚を_2017https://youtu.be/-zmtPP-yeA8?si=XLPTtiSPoJn7wNhf【イベント案内】2024年1月に起こった能登半島地震は、規模も大きく、まるで地殻変動のように地球が動きました。森本崇資、阪田晃一は1月初旬より、それぞれ現地支援に向かいました。初めは支援物資の運搬を、車では近づけない孤立集落へ、歩荷して届けました。僕たちは山を荷物を背負って歩けるから、車で行けるところは他の方に任せて、自分たちができることをしよう。との思いからでした。震災からしばらく経った6月、能登でカヤックができるといいなと話して、2回下見に行きました。能登半島の外浦(そとうら・西海岸)の海岸線沿いに、大きな白い新たな陸地が出現しているのを目の当たりにしました。能登半島の復興はもちろん、十分に進んでいません。そんな中でなぜカヤックなのか。海から眺める景色は悠然としていて、人間の一生でそう何度もお目にかかることができないその光景に心が震えます。そうだこの景色を子どもたちに、特に地元の子どもたちに見せなければならないと、確信したのでした。語り手は、『原生自然と人』というシリーズ初回に相応しい、キャンプディレクター森本崇資さんをゲストに迎えます。森本さんは知る人ぞ知る、優れた身体性の持ち主です。これまで何度も海を漕いできた森本崇資さんの目に、能登半島の海はどう映ったのかを伺いします。聞き手は、体験デザイン研究共同代表であり社会学者の宮台真司、キャンプディレクターの阪田晃一です。2回目の下見は宮台さんも同行しました。原生自然から人が間接化されてしまった現代において、実存にその繋がりを保ち続けている人をゲストに迎える「原生自然と人」。ぜひ会場にお越しください。オンライン視聴参加もお待ちしております。日 時:2024年7月18日(木)19時〜21時会 場:西荻のことカフェ 東京都杉並区西荻南3丁目6−2参加費:会場 3,000円+ワンドリンク、配信4,000円 ※1ヶ月間アーカイブ視聴あり 当日連絡先:09069606108 ※緊急時のみ主 催:体験デザイン研究所 風の谷 Updates tag:peatix.com,2024-07-02 11:29:03 2024-07-02 11:29:03 イベント詳細情報を更新しました。 Diff#1566005 Updates tag:peatix.com,2024-07-02 11:28:13 2024-07-02 11:28:13 イベント詳細情報を更新しました。 Diff#1566002 Updates tag:peatix.com,2024-07-01 13:28:22 2024-07-01 13:28:22 イベント詳細情報を更新しました。 Diff#1565415 Updates tag:peatix.com,2024-07-01 07:19:28 2024-07-01 07:19:28 イベント詳細情報を更新しました。 Diff#1565204 Updates tag:peatix.com,2024-07-01 07:15:08 2024-07-01 07:15:08 イベント詳細情報を更新しました。 Diff#1565197