【アーカイブ動画視聴】福尾匠×鈴木一平 「日記は韻文か」 『日記〈私家版〉』刊行記念 | Peatix tag:peatix.com,2011:1 2022-09-08T00:01:16+09:00 Peatix 本屋B&B 【アーカイブ動画視聴】福尾匠×鈴木一平 「日記は韻文か」 『日記〈私家版〉』刊行記念 tag:peatix.com,2022:event-3290863 2022-07-08T15:00:00JST 2022-07-08T15:00:00JST ※本イベントは7月7日(木)の20時〜22時に開催されました※本チケットは期間限定の販売です※アーカイブ視聴できる期間は7月8日(金)〜8月8日(月)です______________________________________【アーカイブ動画視聴につきまして】・Vimeoの限定公開URLを発行いたします・インターネット接続環境下のPCやスマートフォン、タブレットからのご視聴が可能です【キャンセルにつきまして】・ご購入直後に視聴用のURLが送信される都合上、お客様都合によるキャンセルは承っておりません。何卒ご了承ください______________________________________(以下はイベント告知文です)写真:竹久直樹僕(福尾)はふだん主に哲学の論文や批評の文章を書いているのですが、去年ふと個人サイトを立ち上げてそこで日記を書き始めました(http://tfukuo.com)。その2021年1月から今年の1月まで、365日ぶんの日記を、『日記〈私家版〉』として365部限定で書籍化しました。同書には日付に託されたあてのない日常と断想が書き留められています。それはただ毎日書くという、味も素っ気もない機械的なルールに従うことで向き合われる、「書くこと」の自由と不自由を考える実践でもありました。このたびは本書の刊行を記念したトークイベントを開催していただくはこびとなり、ゲストはぜひ鈴木一平さんをお呼びしたいと提案しました。鈴木さんは、現代詩の詩人であり、俳句や日記を取り込みながら制作されています。多くの日本人にとって最初に日記を書くのは、おそらく小学校の宿題としてでしょう。これは明治に近代的な国語教育が始まったときから組み込まれている制度であり、日記は制度と表現行為の交差点にあると言えます。そこに見られる「自由」と「不自由」は日々のミニマルな実践においても、日記の定型性と散文性として反復されます。本イベントでは、日記に埋め込まれているそうした割り切れない両義性を考えるため、「日記は韻文か」というテーマでお話しいたします。どうぞ、お楽しみに!(福尾)【出演者プロフィール】福尾匠(ふくお・たくみ)1992年、岡山県生まれ。批評、フランス現代思想。著書に『眼がスクリーンになるとき:ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』(フィルムアート社)がある。鈴木一平(すずき・いっぺい)1991年、宮城県生まれ。「いぬのせなか座」「Aa」参加。2016年に第一詩集『灰と家』(いぬのせなか座)を刊行、同書で第6回エルスール財団新人賞受賞、第35回現代詩花椿賞最終候補。______________________________________【本イベントに関するお問い合わせ】イベントに関するお問い合わせはこちらをご確認ください知りたい回答が見つからない、解決しない場合など、ご不明な点がございましたら、お気軽にお問い合わせください<お問い合わせ先>event (at) bookandbeer.com ※(at)を@に変換して送信してください