こまば哲学カフェ【シリーズ:あの世とこの世の哲学対話 】 Vol.1 人はなぜ、死について話さないのか? | Peatix tag:peatix.com,2011:1 2020-11-15T13:18:07+09:00 Peatix SHIOKO こまば哲学カフェ【シリーズ:あの世とこの世の哲学対話 】 Vol.1 人はなぜ、死について話さないのか? tag:peatix.com,2020:event-1664456 2020-11-07T10:00:00JST 2020-11-07T10:00:00JST こまば哲学カフェ シリーズ:あの世とこの世の哲学対話(申込制) 世話役:いでしおこ(How to Get to 哲学対話?) テーマサポーター:金子稚子(ライフ・ターミナル・ネットワーク) 運営サポーター二村ヒトシ・牧村りいさ・加倉井拓夫・高橋利明協力:P4E(Philosophy for Everyone)研究会東京大学大学院総合文化研究科・教養学部付属 共生のための国際哲学研究センター(UTCP)【趣旨】先日、音声アプリを使った哲学対話に「どうせ死ぬのになぜいきるのか」というテーマのリクエストがありました。「少し刺激的なテーマだし、当日の集まり具合はどうだろう・・」と、考えていたのですが、事前告知の段階から関心は非常に高く、最終的に今までに実施した中で二番目の参加者数、問いの数も99個も集まる大盛況。思索を刺激する問いや、独白的な対話もあり、私にとって思い出深い回になりました。 ※こんな問いが集まりました。 -なぜ死ぬのはこわいのか? -なぜ死体は気持ち悪いのか? -人を死に駆り立てるものは何か? -なぜ少年少女の死と老人の死が違う感じがするか? -余命宣告を受けた後で、食事やセックスを味わえるとしたら、それは精神の強さか? -もう会えないことに気づかなければお別れしても平気なのに、死別がつらいのはなぜか?   etc.etc…このように死について考える場があると、皆、関心を持って熱く語ってくれるのに、普段、私や私たちは「死について考えること」が身近ではありません。生まれたことのある全員に死は平等に訪れるのに、なぜ死は“他人事”の様に感じるのでしょうか。よく死ぬことは、よく生きることにも通じると言います。普段、周りを気遣って使えない言葉や表現も、ルールに守られた哲学対話の場では安全に発言できます。周りの空気を読む不自由さの外で、もしよければ一緒に“死”を考えてみませんか?========================================【テーマ】人はなぜ、死について話さないのか?【日時】2020年11月7日 (土) 10:00 - 13:00 JST【参加費】無料【場所】オンライン(Zoom使用)========================================以下、参加条件をご了承の上で参加チケット(無料)をご入手ください。【参加条件】安全に哲学対話を楽しむために、以下の条件をご了承いただける方の参加に限らせていただきます。当日の事前確認でご了承いただけない場合は、ご参加いただけないことをお含みおきください。- - - - -- ご参加のみなさんの心理的安全を確保する為、参加希望の方はビデオオンを条件とさせていただきます。- 参加条件の確認やルール説明があるため、開始時間を厳守ください。(開始5分後に入室不可となります)- 発言は必ずしも必須ではありませんが、ご自身の簡単な自己紹介にはご協力をお願いします。- 個人的なアドバイスを人に求めたり、与えたりする場ではありません。- 回答は無くより深みにハマる場合があり、最終的に受け止め咀嚼するのは皆様ご自身となります。<How to Get to 哲学対話? のグランドルール>* 何を言ってもいい。* 人を否定したり茶化したりしない* 発言せず、ただ聞いているだけでもいい* お互いに問いかけることが大切* 知識ではなく、自分の経験に即して話す* 話がまとまらなくてもいい* 意見が変わってもいい* 分からなくなってもいい 出典:考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門/梶谷真司 (著)———皆様のご参加を心よりお待ちしております!---高橋由一 – 鴨図 [近代洋画の開拓者 高橋由一展より] https://600dpi.net/kawanabe-kyosai-0000782/