第8回『肌蹴る光線 ーあたらしい映画ー』 | Peatix tag:peatix.com,2011:1 2021-11-15T10:56:27+09:00 Peatix イドヌマ 第8回『肌蹴る光線 ーあたらしい映画ー』 tag:peatix.com,2020:event-1493384 2020-05-23T18:00:00JST 2020-05-23T18:00:00JST 『肌蹴る光線 —あたらしい映画—』は、上映機会の少ない傑作映画を発掘し、広めることを目的とした上映シリーズです。これまでに全7回のイベントを、アップリンク渋谷、京都・誠光社を拠点に開催してきました。8回目の開催となる、今回の上映作品はミア・ハンセン=ラヴ監督による『すべてが許される』(フランス、オーストリア合作・2006年・105分)です。■『すべてが許される』について英題を『ALL IS FORGIVEN』とする『すべてが許される』は、1995年、仕事もせず自堕落な生活を送る男・ヴィクトールと、妻のアネット、その娘・パメラの、ウィーンでの暮らしから幕を開けます。同作は、『EDEN』『未来よこんにちは』などで知られ、新作『Bergman Island』の公開も控えるミア・ハンセン=ラヴ監督が25歳の若さで撮影した第一長編で、プロデューサーを務めるはずだったアンベール・バルザンが2005年に自殺したことにより、別の会社に製作を引き継いで2006年に完成しました。のちにギヨーム・ブラック監督『女っ気なし』(2011年)や、黒沢清監督の『ダゲレオタイプの女』(2016年)などに出演する女優、コンスタンス・ルソーが主演の1人に名を連ねているほか、劇中ではThe Raincoatsの楽曲が多数使用されています。■上映会の概要と、今後について第8回の企画をもって『肌蹴る光線 —あたらしい映画—』は第1シーズンを終了することにしました。『すべてが許される』を5月23日18:00〜5月24日18:00にオンライン上映、夏以降にアップリンク渋谷と京都・誠光社で同作を1回ずつ上映した時点で、第1シーズンを閉じようと考えています。今後は映画の上映はもちろん、上映以外のイベント開催や、執筆活動など、これまでよりも自由に変化する『肌蹴る光線』の形を作っていけたらと考えています。詳しい経緯については、このページの最下部「主催者からのメッセージ」に記載させていただきます。■オンライン上映の方法と購入者特典についてこちらのサイトで1500円のチケットを購入いただいた皆様には5月23日(土)の18:00直前にvimeoの『すべてが許される』本編視聴リンクとPWをお送りします。※視聴可能時間は5月23日(土)18:00〜5月24日(日)18:00映像には英語字幕のみがついており、日本版採録シナリオは別途DL頂く形となります。仏語から日本語への翻訳は、松井宏さまにご担当いただきました。また、チケットをご購入いただいた皆様には、日本のバンド・フレディーマーズが今回の『すべてが許される』上映によせて制作してくださったオリジナル楽曲“さよならブルドッグ”の楽曲DLリンクもお送りいたします。※チケットは本日5月18日(月)から5月23日(土)正午まで購入可能となっています。■夏以降の上映についてアップリンク渋谷と、京都・誠光社で、自粛期間終了後、夏以降をめどに『すべてが許される』の上映を行う予定です。こちらについては詳細が確定次第、イベントのSNS等でアナウンスさせていただきます。■上映会関連リンク公式サイト: https://hadakeru-kosen.tumblr.com/Twitter: https://twitter.com/hadakeru_kosen■主催者からのメッセージミア・ハンセン=ラヴ監督の『すべてが許される』を上映するという計画は、3月15日にアップリンク渋谷で『コジョーの埋葬』を上映させていただいた日から、急ピッチで動き出しました。なぜかというと、これまで『肌蹴る光線』を支えてきてくださったアップリンクの倉持政晴さんが、5月末で会社を退社されることを、その日の午後に知ったからです。倉持さんはこれまでアップリンク渋谷に20年近く勤められ、『肌蹴る光線』だけでなく、筆者が大学生の時に突如持ち込んだジョナス・メカスの上映会にも、快く協力してくださった方です。その方が現場を離れられるということは、自分にとってはもちろん、企画にとってもとても大きなニュースでした。『肌蹴る光線』は誇張なしに、倉持さんと、誠光社の堀部さんなしでは、決して成立しなかった企画です。今後も『肌蹴る光線』を続けていきたいからこそ、ここできちんとけじめ……などと言ったら気味が悪いですが、区切りをつけて、新体制に移行する準備を整えたいなと感じました。そういう訳で、倉持さんのいらっしゃる5月末までに『肌蹴る光線』の第1シーズン最終回をなにがなんでも行う、というのが、『肌蹴る光線』にとって、3月中旬からの大きな目標でした。そして、イベントの最終回に上映させて欲しい作品として、脳裏に浮かんだただひとつの映画こそがミア・ハンセン=ラヴ監督の『すべてが許される』だったのです。「人と人が結びつき、離れ、そしてふたたび結びつくこと。生きることと死ぬことのほとんどに関わるそうした瞬間が、このフィルムにはある。」映画批評家・梅本洋一さんがNOBODYに寄せたこの言葉以上に『すべてが許される』を言い表すことの出来る言葉はありえないと思います。しかしあえて自分でも、この作品が好きな理由を挙げてみるとするならば、それはこの映画に差す光がいつも、驚異的な純度の高さを保っている、ということなのではないかと考えています。光は、ただある時に降り注ぐだけであって、何かを救いはしないし、私たちは自らそれに触れることも出来ません。それはただ、そこにあるだけです。しかし、時間は流れ、心はぐらつくものだから、私たちはそれを、美しいと思ったり、悲しいと感じたりします。そういった当たり前のことが、『すべてが許される』では、当たり前だと受け流せないほどの強度でもって画面越しに伝わってくるのは、ミア・ハンセン=ラヴ監督が、自分に都合の良いイメージを、決して光になすりつけなかったからだと感じます。そしてその光は、どこまでも平等に、登場人物たちに降り注ぎます。ヴィクトールやマルティーヌやパメラの人生は、物語のために集約されることはせず、そこには確かに、3人分の人生がある。『すべてが許される』の字幕資料を読んで驚いたのは、本編中で本当にわずかな台詞しか発さないキャラクターにまで、しっかりと名前がつけられていることでした。映画の側が誰かの人生やある瞬間の光を切り取るのではなく、まず人生や光がそこにあって、それが映画に映り込んでいる。そういう前提を感じられるからこそ、私はこの映画の映した、揺れ動く瞳や、悲しみに打ち震える身体を目にした時、それを「本当に目撃してしまった」ような衝撃を受けました。『すべてが許される』で複数の楽曲を使用されているThe RaincoatsのAnaは、インタビューで「あなた達は自分を“フェミニスト”と呼んだ初めてのバンドの一つでしたね」と問われると「当時、私達が自分自身をフェミニストと呼んでいたとは思いません。人々は『あなたはフェミニストですか』と聞いてきたけれど、私はタグをつけられるのが嫌いでした。それが嫌だったのです。私たちは確かにフェミニストだけれど『私はフェミニスト』と書かれたTシャツを持っているわけではないのです」と返答しました。今、身の回りを見渡してみると、本来分別できないような、些細で個人的な物事を、都合の良い物語にはめるためにカテゴライズしたり、不要なラベルやレッテルを貼り付けたりする行為が、まだまだ多く存在するなと感じます(ここには自戒も込めています)。だからこそ、私はいつもその逆をいくような『すべてが許される』の光の描かれ方に、心動かされるのかもしれません。これまでに行ってきた『肌蹴る光線』の記憶を呼び起こし、それを「収穫」し(監督がインタビューでそういう言葉を使っていました)、また真っさらな土地に種をまくために、この映画が必要だと思いました。だから、その上映をこうして実現させていただけることを、本当に幸せだと感じています。これまでどんな形であれ、イベントに関わってくださった全ての皆さま、本当にありがとうございました。心から感謝を申し上げます。いつも見守り、支えてくださる誠光社の堀部さん、本作の上映実現に向けて多大なるご協力を賜りましたアンスティチュ・フランセの坂本安美さま、突然の依頼にも関わらず、仏語から日本語へのシナリオ翻訳に尽力してくださった松井宏さま、今回の企画を唯一無二のものにしてくださる、素晴らしい楽曲を提供してくださったフレディーマーズさま、ならびにShut Up Kiss Me Recordsさまにも、改めて感謝を申し上げます。そして倉持さん、どうかお元気で! Updates tag:peatix.com,2020-05-18 03:32:56 2020-05-18 03:32:56 イベント詳細情報を更新しました。 Diff#586871