おの しゅうじ
By おの しゅうじ Follow | Public

私の記憶にあるのは、幼稚園の年長の頃でしょうか。典型的ないじめられっ子でした。まあ、忍耐と我慢を覚えたのでしょうか。

小学生はその反動で内気な子でした。でも、野球、サッカー、水泳、相撲と太っちょですが、体は動くスーパーデブと呼ばれていました。

中学は、今はもう亡き兄に見習って柔道部、そこが不良の巣窟で何と学校の番長に昇格、金八先生全盛期の校内暴力時代、中途半端ですが、それなりのワルフルコース体験。いろいろと人間関係に悩む多感な思春期でした。学内番付抗争?などで、相当嫌な思いをして、段々と人間不信に陥りました。

その反動か、高校時代は一匹狼。パンクバンドにはまり、セックスピストルズにクラッシュ、口に安全ピンを刺すような悪ガキに、、、過食症で親は死ぬほど心配したと思います。毎日食べてはゲーゲー吐いて体重40キロのガリガリボーイ。高校2年の時に、何故か学校に来た米国人の視察団のホスト役に。ここで、英語とか勉強したいと思い、ガチで勉強。旺文社アチーブ全国2位、3位などとるも1位にはなれず、、、
悶々とした日々を送りつつも今振り返るとそれなりに楽しい青春時代だったのでしょうか、、、


塾など全くいかずマイペース大学受験で何とか青学へ現激合格。何となく、興味のあった国際政治を専攻。ここで志の高い方々と一緒になり、英語サークルに入部。それなりに一生懸命やりましたが、まだまだ煮え切れず、中途半端な日々すごすも、青学卒発のキャリア外交官に出会い、開眼。外交官試験の勉強会幹事を勤め、他大学の勉強会などと連携。死ぬほど勉強しました。昭和天皇崩御の日に大学の研究室で唯一勉強する私にお茶をもってきてくれた警備員の方のお顔、今でも忘れません。本当に3年間、がんばりましたが、最終試験でやっぱり挫折、何故か普通の銀行員に。

水が合うわけもなく、1年でドロップアウト。誘われたコンサル会社をなんと入社当日に退社、そこから暗澹たる日々を送ります、、、気付き系セミナーのはしり、ライフダイナミックスに参加、その流れで今はもう絶品となった成功哲学PJMのカセットテープセットを両手に抱えて営業したり、学校を創設するために、弟子入りして修行したり、半年間、転々としていました。結局、夢であった学校創設をあきらめ、とある友人の紹介で創業社長に引かれて中堅IT企業に就職。社長ご逝去とともに外資系企業への未知を歩みはじめ、外資系キャリア約20年。業界一位企業を転々とするも、社内トップの立場にはなれず、やはり中途半端。

「いきあたりばったり」の生活を繰り返していると、子供がいじめを受け不登校に。約2年間、家族とともに苦しみながら、時には全員で鬱状態、時には家出で一家離散、時には自殺未遂、虐待、、、いろいろなことが起こり、何とか解決にいたるも、その根本原因を求める旅をするにあたり、「つまらない」というキーワードにたどり着く。「つまらない」「死にたい」を連発する子供に、どうしたら楽しい生活を送らせられるかばかりを2年間考え続けるが、結局のところ、それが自分の生き様の反映であることに気付く。自分の人生を自分が「つまらない」、と思う限り、本当の救済はない、と痛感し、本当に自分のやりたいことを経済的に担保しながらすべく、起業の道を選択。自分を支えてくれる、妻、息子、娘に感謝しつつ、全く新しいフィールドで勝負することを決断!

私のタイトルであり天命である「2nd Chance クリエイター」とは、息子が不登校時代に強く思った、強く欲した「願い」です。「このまま学校へ戻れなかったら、この子の将来はどうなるのだろう」と思い悩み、カウンセリング、フリースクール、不登校の集い、などいきまくりました。そこから得た答えは、「学校に戻れなければ、全く希望のない未来しかない」という冷たい現実でした。その冷たい現実の向こう側に、年間自殺者200人という小・中・高校生の絶望が横たわっているのです。未遂者会わせたら、10倍くらいでしょう。御陰様で、息子は何とか学業の道に戻ることができましたが、まだまだ家で、ベッドの上で悶々とした日々を送っている子供達がいるのです。

私の「使命」は、20万人の不登校児童、200人の若い自殺者を少しでも減らすことです。いろいろなやり方があるのしょう。でも、私は私の信じるやり方で、この目標を実現するために全力を尽くします。間違っていたら、2nd Chance やり直せばいいだけです!皆さん、これからもご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します!!

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