Chisato Oomori
By Chisato Oomori Follow | Public

【“大きく描こう”の趣旨】

非日常的な創作経験を通じて、描くことが好きになる心を育む。
子どもの持っている先入観や固定概念を外す。



【私が思う“大きく描く”という魔法】

日常的にお絵描きをしている子も、していない子も、ここで目にするような大きさの画面で描くことは、おそらくそうないことだと思います。私はこの経験を通して、みんなの中にこんな魔法が起こるといいなと思っています。

『モヤモヤ、イライラしていたけど、なんだかスッキリしたよ!』→
全身を使って描くということは、身体を大きく動かすということでもあります。
私はこれがすごく大切だと考えていて、小さなうちはめいっぱい身体を動かすことが感性を豊かにしたり、小さなストレスのガス抜きにもなったりすると思っています。画面が大きければ大きいほど身体をたくさん使うことになるので、その効果も比例すると考えています。

『描くのが楽しくなってきたよ!』→
色々な要因で小さなうちから描くのが好きじゃない、楽しくない子がいるようなんです。どうしてそんな風になってしまったのでしょう。
大人になる前に子どもは様々な描画の段階をのぼります。それは大人の目から見ると、不思議だったり不安に思ったりするものもあって、ついつい口や手を出してしまいがち。でも、それは本当にその子のためになっているのでしょうか?
私は“自分で発見する”“自分で変えていく”、このことがとても大切だし、創作活動のコアなのだと思っています。大人が先に教えてしまったら、きっと子どもは喜ぶでしょうが、おそらくいつでも教えてもらいたがる子になる、つまり創造することが自分のものじゃないから、きっと楽しくなかったんだと思います。

『最近描いてもつまらなかったけど、今日は楽しかったよ!』→
ある時期に、お絵描きワンパターンの波がやってくる子がいるようです。もともとはそのモチーフが好きなんでしょうね。くる日もくる日もそれを描きます。
楽しそうなら良いんですが、もしもちょっとマンネリ化して、つまらそうにしていたら、こういう大きく描く機会をブースターのように活用してみてください。子どもの予想を良い意味で裏切る非日常体験は、その子の表現の裾野を広げることができるので、また楽しく取り組めるようになるはずです。


『描くのって必要なことなんだね!』→
ちょっと大きめの子どもたちの中にはこんなことを言う子がいます。
絵を描くなんて意味ない。受験にいらない。画家になるわけじゃない。
悲しくなるこれらの言葉は、確かに大人の中に居てもよく耳にします。
では、こう考えてみましょう。
創造活動とは、[自身で感じ•集めたものを元に想像し、身体を使って形にしていき、考えたものを完成させる取り組み]である。
一連の取り組みは、例えば大人になってもとても必要です。例えば、新しいアイディアを生み出す、リーダーシップを育み問題の解決方法を考察する、段取りを考えて進行を管理する、など。
言葉を覚える、計算問題を解く、世界の仕組みを学ぶなど、他の教科で養われる能力だけではなく、この能力も財産となり多方面に応用できる力だと私は考えます。